「数学と音楽は似ている」と言われることがありますが,実際のところどうなのでしょうか?
個人的には「数学と音楽は似ている」という意見には賛成です.むしろ広い意味では同じだとさえ思っています.
私は専門として数学の研究をしていますし,趣味としてピアノもそこそこ練習しているので,数学と音楽の両方についてそこそこ考えてきた自負があります.
この記事の意見はあくまで私個人の見解ですが,それでも数学や音楽をやっている友人に話すとだいたい納得してもらえることから,それほど的外れなことを主張しているわけではないと思います.
この記事では数学と音楽がどのような共通点を持つのか考えてみます.
理性と感性
他サイトからの引用ですが,James Joseph Sylvester(ジェームズ・ジョセフ・シルベスター)は次の言葉を残したとされています.
May not music be described as the mathematics of the sense, mathematics as music of the reason? The musician feels mathematics, the mathematician thinks music: music the dream, mathematics the working life.
出展:Brainy Quote
引用元に原典が書かれていなかったので,信憑性は少し弱いです.原典をご存知の読者がいらっしゃればコメントを頂けると幸いです.
“reason”と“sense”が対応していることから,reasonは「理性」,senseは「感性」と読むのが適当でしょう.したがって,要約すると「音楽は感性の数学であり,数学は理性の音楽である」 ということになります.
さて,シルベスター氏は1800年代を生きた有名な数学者で,彼の名がついた定理が数学の代数学という分野にいくつか存在します.
昔の人も数学と音楽が同じと考えていたのは,なんだか感慨深いものがありますね.
また,実際に統計データを確認したわけではありませんが,中世以降には数学を嗜む音楽家が多く居たといわれることもよくあります.
仮にそれが事実でなかったとしても,そのような説が唱えられること自体,数学と音楽には通底するものがあるという認識を持つ人がいる証拠ではないかと思います.
数式と音
次に
- 数学における「数式」の役割
- 音楽における「音」の役割
の類似点を考えます.
数学における数式
この記事を執筆している時点で,私は数学の研究の傍らで予備校で数学の講師もしています.
予備校にはもちろん数学が苦手な生徒もいるわけですが,数学が苦手な生徒は「数学は問題集を気合で覚える科目」と数学を暗記科目にしてしまっていることがよくあります.
「どうしてそのような式変形をするのかは分からないけど,ともかくそう変形すれば答えが出ることを知っている(覚えている)」というわけです.
しかし,数学で問題を気合で覚えたところですぐ忘れますし応用ができません.何よりも理解していないから,「作業」になってしまって面白くありません.
さて,数学は「数式」が先にあるのではありません.数学にはイメージがあり,それを表現するために数式を用いるだけです.
例えば,数式からどのような意図でその数式が書かれたのか分かることもあります.簡単な例で言えば
- 「3個のトマトを2パック」と考えれば3×2
- 「2パックあり,それぞれに3個のトマト」と考えれば2×3
と表現できます.これらは考え方は違うものの,結果的に同じものになりますね.
数式はあくまで「表現の手段」であり数学の本質ではありません.数学はただの式変形ゲームではないんです.
「何を表現したいのか」というイメージが伴っているからこその数学なんです.
音楽における音
今でこそピアノが大好きな私ですが,実はピアノを本格的に弾き始めたのは大学に入ってからのことです.
小学生の頃にピアノを弾いていた時期も少しありましたが,練習が嫌で大して上達することもなくあっさりやめてしまいました.それどころか,ピアノを止めるときは「やれやれやっとやめられる」と思ったものでした.
大学生になって何の風の吹き回しかピアノを弾き始めたところ,気付いた時にはピアノにどハマりしていました.
とはいえ,当時の私はただ鍵盤を押して音を鳴らすのが楽しかっただけで,今から思えば全く音楽にはなっていませんでした.
つまり,指の曲芸としてピアノに触れていたに過ぎず,表現したいことなど何もなかったわけです.
しかし,当時の私はそんなことに気付くこともなく,ベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」を弾くことになりました.
そこでピアノの友人に私の演奏を聴いてもらったところ,それはもうダメ出しのオンパレードでした.
「指が回ってるかどうかに興味はない.何考えて弾いてんの?何を表現したいん?」と友人に詰められたのは今でもよく覚えています.
そこで私は「音楽とは何か?」を考え始めます.
ベートーヴェンの「悲愴」はベートーヴェンが自身の耳の異常に気付いた頃に作曲されたもので,その苦悩,絶望,諦観,渇望が曲の至る所から感じられる曲です.
私はそんな曲を何も考えずにただ楽譜に書いてある音をただなぞるだけで弾いた気になっていたことに気付きました.
音楽も数学と同様に「何かやりたいことがあって,それを音で表現する」という構図をもっているということにここで私は初めて気付きました.
そこで私は「こんな弾き方ではダメだ」ということを理解し,自分の考え方を改めることになりました.
知識と技術
このように,数学も音楽も「何かやりたいことがあって,それを表現したい」という点で本質的に同じものと言えるわけですが,どちらもただ表現したいことがあれば直ちに表現できるというわけではありません.
数学における知識と技術
文章題で「何をやっているのか」「何を問われているのか」を理解できたとしても,それを数式として書き直すためにはある程度の知識と技術が必要です.
例えば「三角形の大きさを比べたいなあ」と思っても,「面積」という概念の知識がなければ答えを見出すのは難しいでしょう.
また,「面積」というものを知っていたとしても,面積を求める公式を知らなければやはり問題は解けません.
このように,「〇〇がしたいなあ」とやりたいことがあっても,それをするために知識や技術がなければ,それを表現できるわけではありません.
いまの三角形の面積で考えると簡単ですが,高校数学の三角関数や微分・積分も「やりたいこと」があるから使うだけであって,先に三角関数や微分・積分があるわけじゃないんです.
音楽における知識と技術
友人にけちょんけちょんにされた私の演奏ですが,その時にこのようなことも言われました.
「ピアノって面白くて,同じピアノの同じ鍵盤を弾いても弾き方で柔らかい音になったり硬い音になったりする」
最初は「音量」の話かと思ったのですが,音量ではなく本当に「音質」が変わると言われました.
これに対して「それはオカルトやろ,同じ鍵盤を弾いたら物理的に同じ音が出るに決まってる」と信じられなかったのですが,ただあまりにも友人が強く主張するものですから少しずつ「本当にそうなのか?」と思うようになり色々調べてみることにしました.
すると,ピアノの構造から音の鳴り方の理論を説明している本が見つかり,論理的にピアノの弾き方で音質が変わる理由が説明されていました.
正直これにはかなりの衝撃を受けました.まだ本を読み終わらないうちに,説明されている弾き方で音質が変わるのか実践してみたことを覚えています.
その日はできているのかどうか分かりませんでしたが,ずっと意識して弾いていると少しずつ少しずつ分かってくるようになるんですね.こうして私は少しずつ「やりたいこと」ができるようになっていきました.
このように,音楽でもやはり「やりたいこと」を表現するためには知識も技術も必要となります.
表現できること
当然のことながらいくら技術があったとしても,表現できることには限界があります.
何を表現したいか
例えば,「この悲しみをなんとか表現したい!」と思ったとき,あなたは数式を使って表現しようとは思わないと思います.一方,「建造物の構造を表現したい!」と持ったとき,音を使って表現しようと思う人はいないでしょう.
このように,例えば数学は定量的,定性的なことを表現することには向いていますが,感情などを表現するのは苦手です.一方,音楽は微妙な感情を表現することには向いていますが,論理的な表現には不向きです.
ここに優劣はありません.
数学も音楽も「何かやりたいことがあって,それを表現したい」という根底にある考え方は同じで,ただ表現できることの得意分野が異なるだけです.
そう考えると,表現したいことを表現するために,言葉を使うのが向いていることもあるでしょう.そうなれば,それは「文学」になります.
もしくは視覚的な表現が向いていることもあるでしょう.そうなれば,それは「美術」になります.
肉体美を表現したいのであれば「ボディービル」や「器械体操」ですし,相手を倒したいのであれば「柔道」や「ボクシング」であったりします.
本質は同じ
数学をやっている人が「音楽は論理的でないからダメだ」とか,音楽をやっている人が「数学は固まった考え方をするからダメだ」とか主張することを聞くことがあります.
しかし,得意不得意が異なるだけで,そこに良し悪しはないはずなんです.数学と音楽だけではなく,文学や美術なども.
もちろん好き嫌いはあってもいいと思います.でも,歌が上手い人と,足が速い人ってどっちも素晴らしいじゃないですか.それと同じだと思うんです.
そういったことをこの記事を読んだ人に是非考えて頂ければ幸いです.
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